関根伸夫 個展 ー位相絵画によるー

Nobuo Sekine Exhibition
2006年11月28日(火)〜 12月16日(土)
AM11:00〜PM7:00 (最終日PM5:00終了)
期間中は日、月休廊いたします。

G60-31 虚実の円錐 130.3×97cm 和紙、金箔、黒箔


G60-36 幽夢 97×130.3cm 和紙、金箔


絵ばかり描いていた僕が

関根伸夫

 絵ばかり描いて画家になることを夢想していた僕が、(偶然とはいえ彫刻家になってしまった…)心の深層には絵を描いてみたい、手軽に自由に絵画をやってみたい…と思う内面の欲望が<位相絵画>の直接の衝動である。ただ長い間の絵画制作のブランクが、絵画を使って絵筆をにぎる行為にならないで、紙を破ったり引っかいたり、貼り付けたりという、肉体的な彫刻的なアクションの行為になってくるのも、これまでの彫刻体験がなせる技なのであろう。
 そして、デビュー作である<位相?大地>が、位相空間からインスピレーションを得て、また<位相絵画>の始まりが位相空間なのも、僕には不思議な因縁を持つ課題(テーマ)なのかも知れない。
 厚みのない、皮膜の連続として絵画をとらえる時<位相絵画>が成立する。絵画を平面で描かれたイメージの表象としての観点ではなく、あるいは絵画としての平面表現でもなく、連続した皮膜として絵画を捉える時<位相絵画>となるのだ。

 画面に切れ目や穴をあけるルチオ・フォンタナとの類似が僕の<位相絵画>と比較され、指摘される。彼の場合は<空間概念>と命名したように、画面という空間に対して、穴や切れ目という衝撃を与える行為が必要なのである。それは画面という空間の概念に対して斬り付ける行為であり、それまでの絵画が描くという平面性に対して、疑問を持たなかった概念性に対するチャレンジだったといえる。しかしながらフォンタナを<位相絵画>の入口には、確かに違い無いと考えることも出来る。

 僕の場合の<位相絵画>はキャンバスを和紙である5枚重ねの<鳥の子紙>にかえ、それに水気を与えて柔軟にし、破り、引っかき、切断し、正に切った張った(貼った)の行為をやった後、木枠に止め乾燥させて表面に張力をみなぎらせる。そして行為の痕跡を写し出すため、数ミクロン厚の金箔や黒箔をつかうのである。
 ちなみに髪の毛を落としても、金箔はその有り様を写しだし、鼻息の荒い人には向かない作業なのである。
 金箔を一枚、光にかざしてみると、無数の穴があいているのが解る。従って断面にニカワやウルシなどの接着剤を塗って金箔を置くと、空気が入らず吸い込まれるように画面に密着する。

 なんだか無性につくってみたい、造れちゃう時期があるものである。やってもやっても何か内なるビジョンが表現しきれない、心の奥底にあるモヤモヤが晴れないし鮮明にならない。
 僕は憑かれたように、スポーツの鍛錬の如くに数年間これに没頭した。気がついたら大小さまざまな一千点以上の作品が出来ていたことになる。

(2005年6月記)